思いついたままに書いているだけなのでオチはありません
※この記事には崩壊3rd 31章第2部までおよびSeabedのネタバレが含まれます。
関係性のあるゲームというものは、世の中には数多くある。単に同じシリーズであると言うだけでなく、開発者が同じだとか、インスパイアされているだとか、形は様々だろう。
一方で、世の大半のゲームは無関係であるはずだ。プラットフォームが一緒だとか、ゲームジャンルが同じだとか、発売年が同じだとか。その程度のものしかないだろう。
今回の二つのゲームに関しては、ほとんど異なるゲームだ。発売年(公開年)もゲームジャンルももちろん開発者も異なる。単に私が似た時期にゲームをプレイしただけでしかない。
それでも、どういうわけか共通点を探し出してしまうらしい。
続きを読む: 無関係なゲームの間に見出してしまう共通性崩壊3rd はhiHoYoからリリースされたAndroid/iOSスマートフォンアプリ。現在もサービス中でストーリー31章を更新中である(2022/9/3現在で3部中の第2部が公開中)。
現在のストーリーでは、主人公はすでに滅びた文明の記録を確認している。その記録はある種のVRのような形式で「体験」できるようで、その文明の英雄である13人の記憶からその人格と能力が再現されており、「交流」を深めながら旧文明で何があったのかを知っていく。
真実を探す中で英雄たちと仲を深めていくが、ウィルスのようなものにデータを消されていき、英雄たちのデータも失われていってしまう。それでも、主人公は自身がその空間で交流してきた記憶と、残されていた英雄たちの記憶からウィルスに対抗できる鍵を持ったただ一人の英雄を「復活」させて、そしてそのウィルスごと記録を完全に消去しようとする。
Seabed はPaleontologyの開発した百合ミステリーデジタルノベルで、登場人物3人の視点から紡がれる物語から「何が本当にあったことなのか」を考えながら、それぞれがどのような終着点にたどり着くかを楽しめる。
パートナーと死別したデザイン会社の社長、死んだはずのそのパートナー、そして社長の主治医となる精神科医の三人それぞれの視点は、幻想的な違和感を与えながらもそれぞれの性格を活かして語られていく。
二つのストーリーの共通点はたしかにある。失われた物を探し求めるけれど、最後に手に入るのは少しの交流時間だけであり、そして残された者はそれまでの過去を糧に未来へと進んでいくという結末だった。もの寂しくも、ある意味現実的なストーリーである。
Seabedの販売日は2016年1月だそうで、6年以上あとに崩壊3rdが今回のストーリーを公開している。それほど公開日に隔たりのあるものをほぼ連続的に接種したのは単なる偶然以上のものでは当然無いのだけれど、3度の偶然の出会いに運命を感じるように、なにか意味のあるように思えてしまう。
あるいは、見出した共通点というのも、単にSeabedを読んだあとだったからなのかもしれない。心に残る作品というのはその感受性の形を変えてしまって、知らないうちに作品の受け取り方を変えてしまうのかもしれない。そしてその感受性に近い作品に出会った時に、より強い力で引きつけられるのだろう。
あるいは逆の順番で出会っていたらどうだっただろう。崩壊3rdの方はよりドラマティックで、美しさに目を奪われて内面に目を向けなかったかもしれない。あるいは広い目で、他の英雄たちにもより目を向けることになったかもしれない。語りは同じでも、受け取る人の状態によっては受け取り方も変わってしまうことだろう。
何がいいたいかというと、どちらも素晴らしい物語でした(崩壊3rdはまだ続いてるけど)
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